八坂神社

八坂神社という名称は意外に新しく明治以降のものらしい。
祇園社感神院というのが本来の名称で古代インドで釈迦に寄進された祇園精舎に由来する名称との事だ。
明治維新時の廃仏毀釈令によって名称を変えざるを得なかった為に、地名である八坂の郷から八坂をもらって八坂神社となったと言う。
何故、名前を変えねばならなかったのか。
それは、ここが当時珍しくもなかった寺と同居していた神社だったからに他ならない。
当時の祭神は牛頭天王で、これは仏教色の強いインド系の神で、神道の神は仏教のそれぞれの菩薩らや如来の仮の姿だとする、仏教側から見た本地垂迹説(キリスト教で言う三位一体説かな)では素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一とされるようです。
新興勢力が、古い文化と矛盾しないように、あれは皆さん古くからおなじみのようですが、実は我々の側で言うところの何々の事だったんですよ...と騙しているようなものですね。
もっとも、神道側も同じようなことを後世やっているようなのですが...。
なんでも、最初は奈良の興福寺の末寺だったが、間もなく比叡山延暦寺の末寺として登録されていて、妻帯を許された僧侶が僧形で管理をしていたそうです。
で、廃仏毀釈では牛頭天王は、名指しで狙い打ちされたようで、管理していた僧も、還俗して民間人となるか神職として神主になるかを迫られたそうです。
で、神社として生きるなら牛頭天王でない正当な神道系の祭神が要る訳で素戔嗚尊なら内実は同じ物とも言えないことはないし(苦しいね)ちょうど良いと考えたのかは判りませんが、素戔嗚尊を祭神として祭り、神社として出直したのが八坂神社ということらしいです。
もっとも、円如という修行僧が牛頭天王を祭ったのが876年、しかし656年には斉明天皇が社殿を創建したという説もあり、祇園社感神院が作られたのが934だとする記述もある。
となると、やはり神社としての由来は古く、場所柄栄えていなかったのか坊主(それも修行僧)が薬師如来でなく(病人を直すなら薬師如来でしょう)牛頭天王を祭ったという辺りは、何でもありの感があります。
仏教的には、正当なご本尊ではないと思えますし(詳しくはないけど)。
で、一番新しくできた祇園社感神院ってのが、正当な寺で仏教隆盛の時代なんで牛頭天王も神社も吸収しちゃったってのが、ありがちな展開ではないでしょうか?
この時代、神道を吸収するように内包して寺の敷地に神社があるなんて珍しくない時代だったようですから。
で、祇園社感神院が八坂神社の本体だという事になり、名前を変えざるを得なくなり八坂神社となったと、私は考えますね。
本体の神社は、何を祭っていたのか知りませんが、656年という年代を信じれば神社が一番古いようですから。
平安遷都の以前から神社ってのは、山城の国にも数多くあったようですしね。
八坂神社の名称は明治以降というのは意外でした(歴史古そうだもの)。