
西寺(さいじ)
羅城門を挟んで東寺と正対する位置に立てられた官営の寺だったが、今は無い
羅城門跡から西へ300m〜400m程、北へ50m程の位置に西寺の名残が残っている。
その名を示す物は、史跡西寺跡の石碑が児童公園の中央部に建てられているのみである。

五重塔の位置からすると、東寺と左右対称なデザインで造られていることが判る、京都市の解説があった。
そもそもは、東寺が現存しているからこそ、その位置を元にして羅城門や西寺の遺跡が発掘されたのだそうです。

公園の南西側から見た西寺跡の碑が立つ小さな丘。

なにか、寂しさを感じさせる風景
西寺の不幸は、人々に見捨てられたことではなかったろうか...
東寺が度々の倒壊や火災から、人々や時の権力者の援助によって再建されてきた事と比べると、同じ出自を持つ寺としては、あまりにも違う末路であろう。

東寺は空海に与えられ、西寺は言い伝えしか残っていないらしいが、守敏大徳と言う空海よりも上席の僧に与えられたと「東寺の謎」に書かれている。
この守敏大徳、本当に存在したのか判らないけど、神泉苑で空海と請雨経法(雨乞いの法)を競ったそうだ。
結局、守敏大徳が充分に降らせられず降板、次に空海の番だが雨が降らない。
怪しんで調べてみると守敏大徳の呪法で龍神が閉じこめられていたとか。
その中で一体だけ閉じこめられていない龍神を見つけて呼び出し接待して雨を降らせることが出来たとかいう後世の話もあるようです(これも「東寺の謎」より)。
その時の龍神が「善女龍王」で、神泉苑と東寺にだけ祭られているとの事。
岡野玲子版「陰陽師」にも、神泉苑での雨乞いの話が書かれていますが、この二人の話は、安倍晴明よりも前の時代の話ですね。