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東寺、羅城門跡、西寺跡から神泉苑、二条城へ歩く


東寺 ---ここは (私的にはと言う意味で)、意外にも密教系の寺であった(と言っても最初から真言密教の寺だった訳ではないらしい)。

平安遷都を実行した桓武天皇が平城京のように寺の勢力が強くなる事を嫌って(色々煩いこと言われたんだろうねえ)、当初平安京の中に寺は造らせなかったと言うなかで、二つだけ、官営の(国立って事かしらん)寺として東寺と西寺が羅城門を挟むように作られた(完成したと言う意味ではない)と言う。

東寺、ではなく当時(お約束...)、長岡京遷都の失敗や古くから日本に住んでいた人たちを追い払ったりと言う軍事行動などで財政的にもきつかったんでしょうねぇ、東寺の建設と平安京の整備は中断されたとか...意外ですねぇ。

空海が遣唐使から戻って28年目くらいなのかな、東寺の天皇から東寺を預かったと言う話で、真言宗はこのときから始まったとか書いてあります。
西寺にも誰か管理者が居たんだろうけど、こちらは残っていない。
東寺も相当危なかったらしく応仁の乱後に丸焼けになったこともあるらしいけど、空海の寺という事で援助する人が多く、何度も生き延びてきたらしいです。

※東寺へと歩く...


京都駅を南側へ出て西へ歩くと15分から20分ほどで東寺の五重塔が見える

京都駅から西へ歩いていると(堀川通りだと思うのだが千本通り書いてあったと思う)大きな通りへ出るので(地図には油小路通りと書いてあったが、線路を越えて北へ行くと堀川通りなんだよなあ)、左折して南へと下る...。

しばらく歩くと、やっと九条通りへでた。

ここから西へと歩き出す...。
なかなか距離があるなあと思っていると、突然五重塔が見えた。

よく見ると、周りを囲っている土塀が相当古い...と言うか歪んでいる。

よく判らないけど、凄いぞ。

※南大門
これは、東寺の南大門。
カメラのフレームに入りきれないので横断歩道を渡って道路の反対側へ行って撮したと言う、苦労が忍ばれる一品です。

小さくてよく見えないかもしれないけれど、通常山門にいる左右の仁王像(阿と吽の形相をした、あれです)が居ない。

残念なことに、お留守だったようです。
果たして全国行脚の旅(美術展示会)に出ていらっしゃるのか、病気療養中(修復中)なのかは判りませんが、門を入ろうとして感じた違和感の意味が判るまで、しばらく何だろうとと入るのを躊躇してしまった程です。

あまりに、居るのが当たり前なので何が無いのか判らなかったくらいです。
そうだ、仁王像が無いんだと気づくまでしばらくかかりました(マジです)。


※金堂                                   


中へ入ってみると、空いていました。
修学旅行のグループは居たけれど、大人数でないのが救いでした。

右の写真は山門をくぐった所です。
なんと、人が居ない...。

やっと静かなところへ来たと言う気がしたんだけれど、人気がないのかな?
それとも、今週はみんな御所の方へ行ってしまうのかもしれませんね。

実は、正面の灯籠のような所に男性が3人居たんだけど外人さんでした。
右手の方に五重塔があるのだけれど、垣根があってここからは入れなかった。

左手には八幡神社があり、その奥には密教の奥義を授ける灌頂院という建物があったんだけど、そこも入れなかった(当たり前か)。

※羅城門から来た毘沙門天

左を奥へ進むと毘沙門堂と書かれた入り口があった。
覗いてみると無料で入れるらしい。
入ってみると、小さなお堂があって中に金色の像があった。

撮影禁止と書いてなかったので三脚を取り出して撮影してしまったが、後で調べたら国宝の毘沙門天像だった。

私、じっくりとスローシャッターで撮影してしまいましたよ。
左の写真がそうなんだけど、ひょっとしたらやばかった鴨ぉ...。

その時の感想は、「なんだか、ほっぺたの膨らんだ像だなあ」と思っただけでしたが、この毘沙門天像は、かの羅城門の上で睨みを聞かせていた像らしくて、羅城門が一度倒壊したときに助け出されたといういわくのある像だったのでした。

それにしても、国宝をなんとも無造作に置いてあるものですね。

その後、宝物館に入り特別拝観中だった空海ゆかりの秘宝の数々を見てきました。
入ってすぐの所に有ったのが、なんと現在の京都の地図に初期平安京の地図を重ね合わせたものだった。
こっ、これはっ...見入ってしまった。

一生懸命覚えようとしたけど、寄る年波には勝てず東寺を出た頃には忘却の彼方へ...。

でも、でも、これではっきりした。
初期御所の位置は考えたとおりだった。
もっとも、思っていたよりも大きかったが...。

ここで、博雅が晴明の所を訪ねるのに堀川通りを通って一条戻り橋を渡るというルートも確認してきました。
ふむふむ、機会があったら歩いてみようっと。

展示物の中には、空海が残した国宝の密教法具、五鈷杵とか五鈷鈴などがあった。

しかし、私は気づいたのだった。
五鈷鈴の先端には五本の尖った長い突起があるのだが、一本が微妙に曲がっているのだ。

中心に一本、それを囲むように4本の鍵爪のような尖った部分が均等に中心の一本に向かって湾曲しているのだが、どうも妙な違和感がしてよく見てみると周りの4本の内一本だけが僅かに曲がりが大きくて中心に接しているのだ。
他の3本は均等な間隔を保っていると言うのに...

誰か落として曲げたのかな?、そんな感じのする不自然さでした。

その他には空海の木像や経文、などが有り、二階奥の間には巨大な千手観音像がありました。
何度目かの火災で無数にある手は無くなり、顔も焼け焦げたらしいけど、二度ほど修復されていた為に焼けたのは修復の後だったらしく、顔の中身は無事だったとか...厚化粧が身を助けるという事でしょうか。
これも仏のご加護と言うべきか...(あっ、観音だ)。


曼陀羅もありました。
胎蔵界曼陀羅、金剛界曼陀羅、なんとも夢枕獏やらヤングジャンプの孔雀王なんたらという漫画とかでみた図柄でした。
これの何処が宇宙なんだろうとしばらく眺めていましたが、あっしには理解の及ぶところではありませんでした。

その後、講堂や金堂に入って(ちゃんと金払ったし)大日如来像、四天王像、十二神将などなど、漫画や小説でおなじみの面々を眺めてきました。
おなじみとはどういう意味かと言うと、よく聞くでしょこういう名前...漢字は判らないけど、くびら、ばさら、ぐんだり(クンダリーニ?)なんとか明王とかね。

それにしても、持国天とかの四天王や五大明王なんかの服装は日本じゃないよな。
判ってはいるけど、とってもオリエンタルな姿形です。
他宗教の神を取り込んできた仏教ならではだなあと、感心してしまいました。
これがキリスト教とかだと、他宗教は悪魔にされちゃうからねぇ...。
良いんだか悪いんだか判らないけどさ。

そういえば、岡野玲子版「陰陽師」に出てきた「邪鬼」は居なかった気がするなあ。
確か、東寺の四天王像に足蹴にされている邪鬼だったのだが、踏みつけられている邪鬼はみんな違う顔をしていたようだ。
後ろを向いていて見えなかった邪鬼がそうだったのだろうか?


その後は、五重塔の周りで1時間ほど時間を過ごしました
写真を撮るのに良いアングルを探して、あちこちフラフラしたり、桜が散るのを待ってじっとしていたりと、割とお気楽に時間を潰してしまった。

※やっと見つけた美しいアングル 「五重塔」


この絵は、気に入ってます。
この場所を見つけてから、露出を変えながら何枚か撮りましたね。

木の下で暗いので五重塔に合わせると木々が真っ黒になってしまうし、開けすぎると五重塔が白くなってしまう...この辺が妥協点ですかねぇ。

ちなみに、この日は曇りでした。


池に五重塔を映そうとすると、上の枝が入らなくなるので諦めましたが、下の木が無ければ無いで上とのバランスが撮れなくなるし、難しいですねぇ。

ちなみに、この池、とっても汚かった。
金取るなら、掃除して欲しいものだ。


池には、もはや話題にもならないが、懐かしい人面魚のような鯉がいた。

写真も撮ったが、どうも顔には見えない、おかしいなあ。

池の中央部で、カメが集まって中空を見上げていた。
そこに、何があると言うのだろう。

この、カメが乗っている石が大きなカメだったら、もっと面白いのだが...。












最後に、五重塔を一枚...(右の写真)



この看板と垣根が無ければ素敵な絵になったのに、残念です。

東寺で昼過ぎまで過ごしてから、羅城門を探して西へと歩き出しました。

東寺から九条通りを300m程行ったところにあると地図には書いてあったが、はたして見つかるだろうか?


羅城門は、今では石碑が残るのみだとも言う...



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