パソコンを始めた理由

当時、パソコンをやる奴は糞だと思っていた。
モニターに向かって、ぶつぶつ言いながらキーボードをカチャカチャと打つ姿が私の中のイメージだったのだ。

絶対に、あんな風にはなるまいと、当時のお金持ちの知人を見てそう思った。
でも、ゲームは面白かった(矛盾)。
確か、PC9801VM2だったかな?、ドラゴンスレイヤーなんてゲームを初めてやってはまった。
ほとんど毎晩、そいつの家に通った(ドラゴンを倒すまでは終われない)。

コモドールのAMIGAなんてマシンも彼は持っていた。
そのマシンで初めてやったのがフロッピーディスク二枚で起動するワールドサーキットと言うF1レースゲーム、これは完璧にはまった。
AMIGAをしばらく借りて毎日やった。
TVで見るF1のサーキットでレースするゲームが出来るのが楽しかった。

でも、自分でパソコンを買おうなんて思わなかった。
だって、ウィンドサーフィンに入れ込んでいたから。
人生のほとんどはウィンドサーフィンをやるためにあると思って働いていた。
だから、パソコンをやる暇なんて夜しかなかった。

転職した職場でしばらくして、まだ若いのに何故か小さな部署を任されることになった(若いのに年上の人を使うのってストレス溜まりますよ)。
アナログな業務の改善のためにPCの導入を考えた(個人で所有する気はなかったが、その処理能力のメリットが判らない程偏ってもいなかった)。
要するに、残業して行う業務の半分は単純な伝票の手書き業務だったのだ。

元々、字を書くのが苦手なのでPCにやらせたらどうかと考えたが、PCに何が出来るか具体的に知っている訳ではなかった。

世はまだDOS3.0の時代、いや、日本ではと注釈が必要だが世界ではDOS5が発売され日本語処理がソフトウェアで可能な時代になっていた。
もちろん、当時そんな事は何も知らない。。


業者を呼んで見積もりを頼んだ。
カタログも取り寄せた。
しかし、業者の言っている事が判らない...
そのシステムはとっても高額だった。
とんでもなく高い事だけは解った。
稟議書を通すためには上司を説得できるだけのスキルが必要になった。
説得しようにも、当の本人が何も判っていないのだから始末に負えない...
書店へ行ってPC関係の本をたくさん買って読んだ。

世の中にはPCと言えば国産ではPC98がスタンダードだった。
それに対抗するために、それぞれ独自仕様のパソコンを作っていた負け組各社が統一仕様として作ったのがAXと言うパソコン仕様だった。
AXは世界のスタンダードであるIBM−PCの互換機に日本語処理をするハードを拡張カード(ビデオカード)として組み込んだものだった。

その時に、世界のパソコンと日本のパソコンの違いを初めて知った。
まず、第一に日本のパソコン(この場合PC98を指す)は高額だったが、海外の互換機は半額以下だった。
性能も雲泥の差で、日本のパソコンは一口で言って遅いくせに馬鹿高いものだった。
しかし、国産のパソコンは事実上PC98しか選択肢がなかった事に加えて、海外の実状を知る人も少なかったので、そういうものだと(パソコンは高価な物)思っていたようだ。

世は、まだコンパックショックの前夜だった。

そしてAXパソコンもまた、高かった。
それでも安価な互換機PCに専用ビデオカードを挿すだけで出来上がるPCの性能は高く、某98に比べればハードはお買い得だった。
しかし、問題はソフトがない事だ。
ソフトがなければパソコンもただの箱とは良く言った物で、AXパソコンの売り物の全世界で数千万本のソフト資産なんてコピーがあったが、いくら動いても日本語じゃなければ無いも同然だと思ったのは私だけではないはずだ。

当時購入したPCはカシオのAXパソコンに沖電気の水平ドットインパクトプリンター、14インチカラーモニターのセットだった。
価格は車(大衆車)が楽に買えると言えば判るだろう。
ソフトも、今で言えばフォトショップが3本定価で買えるくらいした。

中身は今にして思えば、ただのデータベースソフトだった。
今ならMSアクセスがあれば、同じ物が数分の一のコストで出来るのだが、当時はそれしか無かった。
その販売会社も今は無いらしい...諸行無常、盛者必衰の理よのぉ。

高価だったが、効果もすぐに体感できた(座布団、一枚!)。
なにしろ、伝票を夜中までかけてみんなで手書きする必要が無くなったのだ。
宛名シールも必要枚数打ち出せるから、間違いも無い。
面倒なのはキーボードでの入力だけだが、すぐ慣れた。

そんな自分が、いつの間にか一冊の雑誌を定期購読していた。
DOS/Vマガジン、これが私をPCの世界へと誘い込んだ魔界の書であった。

その雑誌に書かれている世界は国産のPCの世界とはまったく異なるものであった。
国産のPCは、既に閉塞的状況で、その価格と分かりにくさからか、マニアだけのものだった。
ソフトも業務用を除けば、エロゲーと呼ばれる面白くもない(だって、生身の方が良いでしょ)ものばかりだったが、海外のPCは違っていた。
フライトシュミレーションに最初は惹かれた。
リアルなグラフィックスにも惹かれた。
二等身のキャラは好きではないのだ。

DOSもIBMからPC−DOS5Vが発売され、一気にDOS/Vと言う名前が雑誌に見られるようになってきた。
しかし、当時のPC98で飯を喰っている雑誌の扱いは否定的で、今までPC98使いとして尊敬されてきたライター諸氏のコメントは的はずれなものが多かった。

過渡期の某パソコン通信の書き込みには、「テキストとグラフィックを別々に表示できない限りDOS/Vマシンに手を出さない」とか.ありました。
この人、今頃どうしているんでしょう。
今じゃ、みんなグラフィックスですから。

自作しようと思って思って秋葉原のDOS/Vショップへ行った事もある。
でも、自作は無理だと言われた。
がぁーん、そうなのか?

でも、当時もDOS/V黎明期で第一次ブームのせいか、動かないなんとかしろ的な新規参入ユーザーが増えたせいでショップもカリカリしていたようです。
なんかここ数年の状況に似てますね。

で、しかたないので渋谷の通販ショップへ行って通販で売られているオリジナルマシンの実物を見て買うことにした。
当時のPC98が70万円くらいする価格だったが、そのマシンはその上を行くCPUとハードのスペックで半額以下だった。
ちなみに、会社で購入したAXパソコンのカタログスペックは「高速486SX 25MHz」、大容量4MBメモリ、ゆとりの大容量20MBハードディスクだった。
4MB増設(確か、10数万したような気がする)して8MBになったパソコンより安い価格で買った私のDOS/Vマシンは、486DX2 66MHz
8MB RAM、340MB ハードディスクだった。

ちなみに、PC98の最高モデルでもDX2の66MHzは積んでいなかった。
それでも当時70万円くらいで売られていたのには、今にして呆れる他ない。

「初めてのパソコン」へ つづく...