節分に食べる「棒かぶり寿司」
棒かぶり寿司のケース
夜の八坂神社 円山公園方向
夜の八坂神社拝殿
「京麹」 白味噌の鍋
節分に棒状の巻き寿司を恵方に向かって食べるという風習は関西から来たもののようだ。

今年はコンビニなどでも早くからチラシを貼って棒寿司を売っているのを見かけた。

今年の恵方(えほう)は北北西なのだそうで、節分の日(と言えば一日しかない)に恵方を向いて無言で棒寿司を食べきるのが、そのやりかたと聞くが、節分の前からコンビニで売っているのは、どうしろと言うのだろう?

まさか、節分まで保存しておけと言うのではないだろうが、この寿司はなかなか大きいので、無言で食べきるのは苦しい。
途中で休まず恵方を向いて食べて下さい、などど書いてあるので頑張ってみたが、フードファイター(大喰らいの意)の私にも水分補給無しで巻き寿司を食べるのは難儀しました。

せめて途中でお茶を飲んでも良ければ大丈夫なのですが...、まあ、なんとか食べきりました。

この棒かぶり寿司(巻き寿司)は京都市内の至る所で売られていました(私が歩いた範囲に限定ですけど)。

節分とは立春の前日、冬から春へと暦が替わる日であり、旧暦では大晦日をも意味していたようです。

その節分の日に、宮中では「追儺の儀」という厄払いの儀式が行われていたそうです。

厄払いの効力のある桃の枝と葦を使い、桃の枝の弓に葦の矢をつがえて四方を射る、その後は桃の枝を使い四方を打つ事で疫鬼を追い払い、常人の倍の眼力を持った黄金四つ目の面をつけた大男の大舎人扮する方相氏が、矛と盾を打ち鳴らしながら松明をもった舎人達を引き連れて疫鬼を追い立だすという、冬を追い払い春を迎える儀式が行われていたのだろそうです。
しかし、その儀式も時と共に変わり、煎った豆を巻いて鬼を払うという儀式に変形していったようです。

鬼の姿は表鬼門の方向である丑寅(北東)から牛の角と虎の皮の褌という姿で疫鬼の意味を表しているようです。

昨年、京都の市バスに毎月つり下げられている情報誌「おふたいむ」に吉田神社の「追儺式」が写真で紹介されていましたが、私の記憶違いでなければ鬼の顔は黄金四つ目だったように思います。
姿形は鬼なれど、黄金四つ目とは...庶民の間に節分の行事として追儺の儀が広まっていく過程で方相氏が鬼へと変化していったのかもしれません。
来年は吉田神社へと行ってみようと思います。


さて、2月2日の土曜日は、残念ながら出勤日でした。
しかし、神は我を見捨てなかった!
当日は勉強会という事で、午前中で終わり、午後からはフリーとなったのだった。
となれば、急いで京都へ向かうでしょう...と言うか、もうホテルも予約してあったので、夕方出発しなくても良くなったという事なんですけど、安心して祇園の京麹で白味噌の鍋が食べられるというものです。

今回の京都、第二の目的は京麹の「白味噌の鍋」、第三に「蒸し寿司」、第四が京都で棒かぶり寿司を恵方に向かって食べるという、食に始まって食に終わるという素晴らしいテーマがあったのです。

あえて第一の目的は避けましたが、それは今回の主目的が節分を理由に京都へ行き、平野屋で「いもぼう」を食べる、そういう魂胆があったのです。

予定より、早く着いてしまい、京麹を予約した時間に間があったので近くの八坂神社へと寄って時間つぶしをしておりました。

夜の神社というものは、普段なら近寄りたくない雰囲気があるものですが、節分とか何かの行事があるときは別です。

ライトアップされて綺麗だし、人もたくさん居ます。
そんな八坂神社をスローシャッターでストロボを使わずに撮影してみました。
時間になって、京麹へと入り座敷へと通されました。
このお店、カップルはカウンターへ、カップル以外で複数名の場合は座敷となるようです。
我々は四名で小さな座卓を囲む和室でしたが、もう少し多くなると別の和室になるようです。
是非、春か夏には来たいものです。
このお店、安くて美味しいんです。
夏にハモづくしを食べたときは、フードファイターを自認するわたしが腹一杯になったほどで、普通の客は折り詰めに食べきれなかったものを入れて帰るそうです。
料金を払う際には、さりげなく何処から来たのかとか、何を見て来たのかなどというマーケティングが自然な会話の中で行われます。

白味噌の鍋は、やはり甘口の味でしたが、京野菜が美味しく煮込まれていました。
ガスは使わずIHの加熱器具を使っていましたが、この土鍋もIH用の土鍋なのでしょうね。

京都でご飯を食べると、何故か日本酒を冷やで飲みたくなるから不思議です。
初日はこれで終わりました。
出社でなければ色々回れたのに...ああ無念。