年末の平安神宮、疏水沿いを歩くついでに寄ってみましたが、露天はみんな営業していないし、境内もご覧の風景で人気の無いのが判ると思います。
年末は、どこもこんなものなのかなあ?
でも、こういうところはイベントがないと人が来ないのかもねぇなどと勝手なことを考えて疏水を歩くのでした。
歩くと、いろんなものが目に入ります。
でも、足が疲れます。
その日で帰るなら良いけど、数日分は出歩く元気を取っておかなければ...。
バスに乗って行った晴明神社ですが、なんと入り口脇に駐車場が出来ていた。
かなり広い敷地だけど、以前は何があったのか思い出せないなあ...。
晴明神社駐車場と書かれていましたから、昨今のブームのおかげで経営は上手くいっているのでしょうね。
人が来なければ神社は寂れる一方ですから、繁盛して末永く存続してくれるのは嬉しいことです。
人が来なくなって荒れ果てた神社も、あちこちで見かけますから。
きれい事でなく、先立つものが無ければ信心も無いというのが現実でしょう。
ここは、年末でも賑わっていました...というように見えますが、わざと賑わって見える瞬間まで待って撮ってみました。
写真は時としてウソをつくと言うことを我々は知らなければなりません...なんて、英語の直訳のような事を書きましたけど、撮影者の意図で真実は曲がって伝える事が出来るという一例です。
もっとも、そういう瞬間があるという事は、そこそこ人が集まっている証拠でもありますが...。
白峯神社
晴明神社を後にして、今出川通りを東へと歩き始めると、割と近くにあるのが白峯神社(白峯神宮)です。
一見、どこか他の神社と異なる雰囲気を感じます。
それは、ここが神社とは言っても、、元々は個人の屋敷跡に作られているからなのだそうです。
ここは、京都にいくつかある怨霊を祀った神社の一つで明治維新に前後して作られたのだそうです。
祀神は2柱で、最初に祀られたのが「保元の乱」の首謀者として讃岐(四国)に流された後白河天皇の兄である崇徳院、数年後に合祀(いっしょに祀る事)されたのが、奈良時代の「藤原仲麻呂の乱」という古い反乱で淡路島に流された淳仁天皇(後に贈られた皇位)という事が、門の所に書かれています。
本を読むと、崇徳院のほうが怨霊として有名だったようで、様々な言い伝えが残っているとか...
結局、この人は流刑の地で没したのですが、後に別の場所に霊廟を建てて祟らないでくれよと祀ったのだそうですが、応仁の乱前後のどさくさで焼失してしまったとか。
没した地の讃岐でも後年には堂を立てて白峯寺という寺が管理をしていたそうで、そこを修築する代わりに京都に怨霊を祀る場所を作ろうという事になり、この場所にあった屋敷跡が利用されたという事です。
白峯の名前は、讃岐の白峯寺(後に白峯宮)から来ているとか...
この屋敷跡は、公家の飛鳥井家のもので、ここの屋敷神が蹴鞠道の神だったそうで、境内にはサッカーの上達を願う若者や親子連れがお参りしています。
左の新しい石碑は、はめ込まれている鞠に模した石を回すと(回るのです)球技が上達するのだそうです。
人気のない平安神宮
晴明神社には専用駐車場まで出来ました
ガイドブックに載るようになってから年輩と男が増えた
怨霊を祀った白峯神社
蹴鞠改めサッカーの神様?