これは丁度良い写真がなかったので今回より一年前の写真ですが、出町柳の駅から高野川を渡って下鴨神社へ向かう写真です。
正面の鳥居を過ぎてしばらく進むと「糺の森」(ただすのもり)と呼ばれる36,000坪の広大な下鴨神社の敷地に入ります。
糺の森は古代の森がそっくり保存された夏でも薄暗い森です。
左右に広いわけでは無いのですが、南北方向には広大な面積を有しています。
上賀茂神社も広大な神領の森を有していたそうですが、第二次大戦後米軍に接収されゴルフ場にされてしまったそうです。
それでも上賀茂神社の敷地は広大なのですが...。
この前の道路、意外に車の往来が有ります。
横断には注意しましょう。
参道の脇を流れる泉川です。
昼間だと言うのに、この暗さです。
水は非常に澄んでいました。
参道を下鴨神社の楼門に向かって右側に泉川、左側には楼門内のみたらしの池から流れる小川が流れています。
糺の森に入ってすぐ左側に摂社の河合神社がありますが、ここは方丈記で有名な鴨長明に縁(ゆかり)の神社で方丈記の方丈を再現した建物が置かれ、鴨長明に関係した品物が展示されていました。
(後半の項で河合社の展示物を紹介します)
京都を案内するガイドブックに必ず載っている有名な楼門です。
ここから中に入ります。
1ページ目の最初の写真は、この楼門に下げられていた看板の写真です。
楼門を入ってすぐ正面にある舞殿
ここで神楽などが行われるのでしょう。
当日も午後から狂言の奉納があったようですが、見逃してしまいました。
スケジュールはちゃんと把握しておかなければなりません。
余談ですが朝日新聞に挟まっていた冊子に狂言のことが書いてありました。
現存する狂言の流派は和泉流と大蔵流の二派しかないそうです。
江戸時代には鷺流という流派があったそうですが明治期に廃絶したそうで、和泉流には和泉家、三宅家、野村家、野村又三郎家、狂言共同社が有り、大蔵流は大蔵家、山本家、茂山家、善竹家で、京都にあるのは茂山家だけのようです。
あの、野村萬斎も和泉流なのですね。
「御手洗神社」と「みたらしの池」
御手洗は「みたらし」と読むようです。
つまり「みたらし団子」は御手洗団子...
あまり食欲がわかないのは私だけでしょうか。
冗談はともかく、ここ「みたらしの池」は「みたらし団子」の語源となった場所であり、葵祭の斎王代が御祓の儀を行う場所でもあります。
ここは、上の写真の舞殿の北東側にあります。
「みたらし団子」が「みたらしの池」に見られる泡(あぶく)の形からヒントを得、人の形にかたどって考案されたという話は有名なようです。
下鴨神社のパンフレットにも発祥の地と書かれていました。
ここは病気や怪我、災難除けの神様だそうです。
境内には、干支の十二支に対応する祠が6社あります。
拝殿に向かって右側(東)に2社、中央に向かい合って2社、左(西)に3社、計7社です。
わり算が合いませんが、左右が1社で二つの干支を受け持って中央の二つの社は1社で一つの干支を受け持つようです。
写真右側に下の写真の拝殿があり、右奥に進むと特別拝観中の葵の庭があり、その中に大炊殿(おおいどの)、御井、御車屋があります。
詳しくは後の項をご覧ください。
拝殿の内部です。
左右に東本殿、西本殿があります。
東本殿には玉依媛(たまよりひめ)命
西本殿には賀茂建角身(かもたけつぬみ)命がそれぞれ祀られています。
この二人は上賀茂神社の祀神に対する母親と祖父の関係になります。
下鴨神社 参詣道
糺の森
糺の森と泉川
下鴨神社楼門
舞殿
御手洗神社と みたらしの池
十二支に別れた社
拝殿内部