京都三大祭と言えば最初にやるのが5月の葵祭、次が7月の祇園祭、最後に10月22日の時代祭ですが、歴史的に新しいのは時代祭です。
時代祭は平安神宮の例祭で、その平安神宮自体が明治の平安遷都1,100年を記念して作られた神社だからなのですが、他の二つの祭は起源も古く歴史的由緒のある祭だという事です。
祇園祭が7月の一ヶ月間かけて行われる祭りであるのと同様に、葵祭も現在の5月15日に盛大な行列が行われるが、その前後やはり一ヶ月近くをかけて様々な祭が行われるのだと言います。
現在5月12日に行われる御蔭祭(みかげまつり)も、葵祭のために神様を山から賀茂神社に迎えるための祭のようです。
葵祭は本来、賀茂祭(かもまつり)と呼ぶ祭事の事で旧暦四月の酉の日に行われていたものが、現在は5月15日に行われることとなり、朝廷が上下の賀茂神社に参詣する行列を再現した盛大な行列が有名です。
毎年この祭を見るために多くの観光客がやってくるのですが、なかなか平日は見に行くことができません。
今年も仕事を休めず、葵祭を諦めて...その前に行われる御蔭祭が日曜日にあたるので、やってきました。
次は葵祭の行列を見たいものです。
当初、葵祭の行列はどこでも見られると思っていましたが、京都御苑とこの下鴨神社においては有料の拝観席以外での見物は事実上進入禁止となっているようで出来ない模様です。
上賀茂神社については判りませんが、おそらく同じかと考えられます。
行列は京都御所を出発して下鴨神社へ参詣しその後上賀茂神社へと向かうようです。
葵祭の起源は古く、下鴨神社のパンフレットによれば544年に始められたと書かれています。
平安遷都以前どころではなく、奈良時代以前の歴史に出てくるそうです。
ところが下鴨神社はその当時に成立していたという文献が無く、上賀茂神社が賀茂祭を行っていた神社であったそうです。
下鴨神社が歴史に出てくるのは奈良時代中期以降だという話がありますが定説なのか仮説であるかは判りません。
いくつかの書籍を読みましたがすべてに上賀茂神社の祭が賀茂祭で下鴨神社は後に上賀茂神社から分かれて成立したと書かれています。
上賀茂神社の祀神は賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)ですが、何故か下鴨神社の祀神はその母親である玉依姫(たまよりひめ)と祖父に当たる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)であると言うことになっています。
そういう意味で、下鴨神社を正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼ぶのかもしれません。
御蔭祭の行列は期待していた程ではなく、どこか緊張感も無く保存会の方々がだらだらと笑いながら歩いてきました。
元々は東山三十六峰と呼ばれる山々の二番目にあたる御蔭山にある御蔭神社へ神様をお迎えに行く行事だったのですが、現在では行列を組まずに途中から車で御蔭山へ向かうのだという事です。
一部帰りの路で徒歩による巡行も行われているようです。
葵祭の行事は京都新聞の記事によれば5月の3日に流鏑馬神事が行われ、その後4日に斎王代女人列御祓神事(さいおうだい、にょにんれつみそぎしんじ)で、斎王代に選ばれた女性と女人列に参加する女性達がみたらし池にて御祓(みそぎ)を行うとの事。
これは上賀茂、下鴨両神社が毎年交代で行うのだと言います。
5日には下鴨神社で行われる歩射神事と上賀茂神社で行われる賀茂競馬が行われ、この御蔭祭へと繋がるのだそうです。
保存会の方々はみなお年を召していらっしゃいました。
歩くのが大変で車で行くのも仕方ないのだと思います。
マイクロバスが並んでいました。
行列の人達はみんなバスに乗り込んで出発しました。
午前10時頃の事です。
カメラマンの方が説明していたのを横でそっと聞いていたのですが、御蔭神社は今の叡山電車、八瀬遊園駅で降りてからぐるりと駅舎の裏側へ廻って、そこから慣れた人なら30分ほどで行ける場所にあると言っていました。
はたして、見当違いかもしれませんが想像図などを書いてみました。
他にも八瀬の比叡山西側であるとか、左京区東高野であるとか場所としてはこの辺りにあるようです。
何故この角度の方向にしたのかと言うと、この方向が谷間になっているからで、山の斜面に作るよりも谷間に作る方が易しいだろうくらいの考えですから、簡単に信じない方が良いと思います。
御蔭祭の告知
葵祭の案内看板
下鴨神社 境内案内図
御蔭祭 出発する行列
この辺りで雅楽の演奏も止まった
一行を運ぶマイクロバスの行列
御蔭神社 推測図