飾り付けを残すだけの、鯉山(こいやま)
鯉山の集会所「登竜門」
左甚五郎作と書かれた、鯉山の鯉
まだ組み立てていなかった役行者山
町中で見かけた屋根の造形物
道標と、何故かカエルの置物
保存会が保存している古い郵便ポスト
蛸薬師通を過ぎて六角通に至る間に鯉山があります。
鯉山(こいやま)の鯉は、龍門の滝を登り切った鯉は龍にその身を変えるという中国の故事、登竜門にちなんだものだそうです。
この山の四方を飾る水引、前掛け、胴掛け、見送りの全てが重要文化財だという事です。
山の隣に「登龍門」という山町の集会所があり、そこで鯉の像を見ることが出来ました。
左甚五郎作と書かれていました。
左甚五郎はいたる処で、いろんな物を作ったんですね。
ここが「登龍門」と書かれた鯉山の装飾品などを飾ってある集会所です。
狭い路地を入っていくと装飾品が展示してあります。
中では鯉山グッズを販売していました。
左の写真で右側にある鳥居と祠が山の正面を飾り、鳥居の左側に見える鯉が鳥居と祠の間に鎮座するようです。
来年...は無理だろうから、再来年あたりには巡行を見てみたいものです。
※左の写真の上にマウスカーソルを乗せると鯉の拡大画像に切り替わります。
鯉は左甚五郎作と書かれています。
鯉山の御利益は当然ながら、立身出世でございます。
そのほか、登龍門にちなみ試験合格も御利益に書いてありました。
中では立身出世のお守りなんかも販売しています。
きれいな説明看板ではありませんが、役行者山もまだ形になっていませんでした。
仕方ないので、看板だけ撮ってきました。
役行者(えんのぎょうじゃ)は修験道の祖とされる人物で、SFだとか伝記物によく出てきます。
この山は、役行者が大峰山と葛城山の間に石橋をかけようとして一言主神(ひとことぬしのかみ)に石を運ばせたという伝説に基づいているそうです。
役行者は本名を役小角(えんのおずぬ)と言うそうです。
大和の国の出身で634年の生まれとされていて、32歳で葛城山に登り修行を行い能力を得て従者として前鬼・後鬼(夫婦の鬼だという説もあるとか)を使役して雑用に使っていたとか...
伊豆の方に流罪になった時期もあるそうです。
新町通に入って北から南へと歩を進めていると屋根の上に変わった置物を発見しました。
北東鬼門を守っている訳ではないらしく、左右にそれぞれ一体ずつで、向かい合って西側を向いていました。
神社の狛犬のような姿をしています。
沖縄のシーサーとは違うと思います。
何故、このような物が置かれているのか、その意味を知りたいと思います。
さて、左の写真には一本の木が写っています。
その木の下へと目を転じてみると...
下の写真になります。
カエルに目が行きますが、カエルが乗っている石は道標(みちしるべ)のようです。
右 三条、左 御池と書かれています。
そうです、ここは姉小路を新町通に下がったところなのでした。
カエルは石に固定されています。
これも意味が良く判りません。
謎が多い町です京都という町は...
上の写真のすぐちかくに、古い郵便ポストがありました。
これには名前があって、「郵便差出箱一号丸型」と言うそうです。
昭和24年に全国に普及した郵便ポストなのだとか書いてありました。
現在では残っているものが少なく、保存用に残されるのみだとも書いてありました。
管理しているのは、その名も「郵便差出箱一号丸型保存協会」だそうです。
総務省の天下り先となる外郭団体だとしたら笑えないんですけど...
そんな事はないですよね。