長刀鉾の禿(かむろ)役をつとめる児童二人
長刀鉾の稚児(ちご)役をつとめる大森一星君(9歳)と禿役の二人
「社参の儀」の神事を終えて白馬に乗る稚児役の大森君
町中には組み立て途中の山が各所に見られた(占出山)
錦小路から室町通りに入ると南側に菊水鉾が見えた
菊水鉾は、厄除けのちまき購入が鉾に上がる条件
13日(土曜日)はついて早々に八坂神社へと向かいました。
当日の行事に、11時から八坂神社において長刀鉾の稚児社参の儀というものが行われると告知されていたからでです。

左の写真は稚児ではなくて、稚児の補佐を務める禿(かむろ)役の子供達です。

長刀鉾の稚児は例年裕福な家庭の子息がなるものだそうで、2002年はノートルダム学院小学校四年生の大森君だそうです。
稚児は、顔に化粧をして金色の烏帽子に水干姿です。
両脇の禿役は、稚児の大森君の同級生だそうです。

八坂神社の正門である南門から供の者を連れて入ってきた行列は社殿に入りお祓いを受けます。
恐らくは、祭の期間中は稚児に神がおりるのでしょう。

祭の期間中は、稚児の世話は男親が行い女性は近づいてはいけないそうです。
三人とも、歩きにくそうで窮屈そうにしていました。

稚児の大森君は、この社参の儀で祭の間だけ五位の身分と十万石の禄を授けられるのだと、四条繁栄会発行のパンフレットに書いてありました。

五位と言えば、五位鷺と同じ...いや、そうでなくて昔で言えば宮中に上がることのできる最低限の身分だそうな...(五位の上か下かは気になるところです)
社参の儀が終わると、南門から白馬に乗り八坂神社を後にするのですが、見物客が多すぎて身動きが取れないようでした。

係の人が道を開けてくれ!と叫んでいるのですが、観光客達は間近で自分だけは写真を撮ろうと一生懸命で聞く耳を持たないようでした。
わたしは、神事を邪魔してはいけないだろうと離れた位置で待っていたので、小さくしか撮影できませんでしたが、いくらなんでも行事の邪魔をしてはいけないのではないでしょうか?

観光客には観光客のルールというものがあると思います。
自分だけは...と言う人達が次から次へと稚児の前へと現れて写真を撮影する姿は反面教師にしようと思いました。(見ていてうんざりする感じです)
祭は地元の人達のもので、観光客はそれを見せてもらうという立場をわきまえたいものです。
錦小路から烏丸通りを渡っていくと占出山(うらでやま)が組み立て途中で置いてありました。
途中と言っても、あとは提灯を取り付けて飾り付けをするだけなのですが、最初に見た山がこの占出山です。

占出山はパンフレット等によれば、2002年は巡行の8番目で、この順番が早い年ほど、お産が軽いと言われるそうです。
それはご神体として祀っている神功皇后(じんぐうこうごう)が古来より安産の神とされているからだそうです。
この神功皇后が肥前の国松浦川で鮎を釣って戦の行方を占ったという故事に基づいて付けられた名前だそうです。
錦小路から室町通りに入り、南に曲がると四条通方向に菊水鉾(きくすいほこ)が見えます。
四条繁栄会のパンフレットでは鉾をボコと濁って記述してありますが、祇園祭山鉾連合会のチラシではホコと濁らずに記述してあります。
昔の日本語は濁点のない発音だったとも聞きますので、当ホームページの記述は濁らない発音で統一します。

室町通りは狭い通りです。
祭の期間中は混雑緩和のために南から北への一方通行となります(当日の夜から)。
逆に隣の新町通は北から南への一方通行となります。
西洞院通りは比較的広い為か、人通りが少ないためか通行規制はありません。

一番、山鉾の数が多い通りが室町通りと新町通なので、その辺は仕方ないとは思います。
菊水鉾へと行ってみると、鉾の上に乗れると書いてありました。
チケット代わりの厄除け粽(ちまき)は1,000円です。
さっそく記念に購入して乗ることにしました。
ここまで来て、乗らずに帰る訳にはいきません。

他の山や鉾を廻ってみると、500円の手ぬぐいで上れる処や、何でも良いから品物を購入すれば上れるところ、ちゃんと拝観料を取るところと様々でした。

祇園祭の粽(ちまき)とくれば、玄関に吊しておく物。
たぶん、そんなことはしないのですが、それは記念品という価値があります。
粽と言っても、食べられる粽ではありません。
形だけが粽の形をしている物です。