やっとボードで自由に走れるようになったが、まだ後ろのストラップには足を入れられなかった頃の話...
ロングボードを買った。
ショートボードに乗るなんて、まだ先のことだと思っていた。
ロングボードは370cmの競技用サイズ(当時のね)。
香港製の安い(けど軽い)のを頑張って買った。
ボードのエッジは立っているし、ダガーも大きいから風上に向かって走るのはとても楽だった。
後ろのストラップに足を入れてプレーニングは出来なかったが、マストを一番前に出して(可動式ジョイント)セイルをアフターレイキ(後ろに目一杯傾ける)させて風上にプレーニングさせることはできた。
もっと角度をつけて自称45度で風上に登るのも楽だった。
ある日、オフショアの海にるために海岸でセッティングをしていた。
ふと、ジョイントをボードに取り付ける金具の受け台(プラスチックだった)に髪の毛のような線が入っているのが見えたが気にせずセッティングを済ませて早々に海に出た。
強烈なブローが入る、沖に出てプレーニング(後ろのストラップじゃないけど)して、風上に登ろうとジョイントを前に可動させたとき異音がしてマストをボードに接続するジョイントの受け台が割れた。
当然、マストはボードから離れてしまってセイリングなんて出来ない。
沖に流されるままである。
まず、シート(紐)でボードと体を繋いで離れないようにしてから岸までの距離と、湾内なので左右の岬までの距離を確認した。
まだ大丈夫だなと確信してから素早く海上でセイルをバラして、バテンはマストの中に突っ込んでマストにセイルを巻き付けるとボートに乗せてブームを上に乗せてブームのダウンホールラインに使っていたシートで固定した。
アップホールラインはボードと体を繋いでいる。
そんな間にも流されてる...
とは言え、潮の流れは有る程度判っているので近くに見える岬はやめて少し遠い堤防の突端を目指してボートの上からパドリングを始めた。
ウィンドサーフィンの雑誌に、風がオフショアになる秋口になると決まって掲載されている記事に「流されたとき」というものがある。
流されたときにはパニックになって、元来た岸へと帰ろうとする事が多いそうだ。
しかし、風がオフショアの時に岸に向かうのは風が向かい風になる事にもなり、体力を消耗するだけで岸には近づかないという精神的ダメージで更にパニックにおちいるようだ。
そんな時には、ボードに乗っているから流されるのだから泳げば...という冷静なときならば無謀に思える行動に出て溺れてしまうらしい...。
浮力のあるボードにさえ掴まっていれば、溺れることはないし、風に逆らわなければ泳ぐよりも確実に速く進むことも出来るのだが、パニックというのはそういう考えさえ失ってしまうものらしい。
友人が流された事があるが、パニックというのは冷静な判断を下せなくなるものだと痛感した事もあった。
さて、どうしたものかと考える余裕が大事なのだろう...
そう言うことは力があるとか技術があるとかいうのとは別次元の人間性なのかもしれない。
岬側は山から吹き下ろして来た強い風が海上で数本集まって突風になって沖に抜ける場所でもあり、海面が泡立つ程で潮の流れも驚くほど速いのだ。
それは、初心者の頃、嫌と言うほど思い知らされた事もあり、そちらは避けた。
堤防の方は、ブローが抜ける間隔があり時折強いブローが川から吹いてくるが潮の流れは弱い。
堤防に近づくと釣りをしているオジサン達が沢山居た。
大きな声で、ごめんなさーいと謝って、堤防の消波ブロックに近づいた。
無論、波があるときにこんな事をやってしまったら、ブロックに削られて死んでしまうがオフショアの時は波が打ち消されて無いので出来たことだ。
堤防が駄目なら先の定置網に掴まるかとも思っていたが、なんとかなった。
消波ブロックづたいに岸へと戻り道具を確認すると、見事に朝確認した線のような傷から受け台が割れていた。
まだ買ってから一ヶ月も経過していないので、後日メーカーにクレームを入れると新しい受け台を送ってきた。
(命を危うくする欠陥だと言うのに、お詫びの言葉は無い)
このボード、安いだけあってダガーが風上に登る水圧に耐えかねて折れたことも二度ほどあった。
カーボンファイバーではなくグラスファイバー製だとは言え、素手で折れる物でもなく強度に不安は無かったのだが無惨に折れた。
いまではこのボード、実家の裏の畑で眠っているが、これを作っていたメーカーは数年後には雑誌等でも見なくなった。
安くて軽いというところが利点だったが、造りがプアですぐ壊れて良く修理をしたものだった。
道具は使ってこそ意味をなす、だから飾っておくのは好きではない。
高価な道具でも使う、使って壊れたら直す。
そういうポリシーになっていった。
そうして、ウィンドの道具には命がかかっている事もやっているうちに身にしみて良く判った。
道具のメンテナンスを軽視すると自分の身の危険になって戻ってくる。
メンテナンスの方法も必死で覚えた。
他人に自分の命は預けられないから、なんでも自分でやらずには居られなかった。
他人の気まぐれやミスで死ぬのはまっぴらだった。
海の上では独りである。
泣いても笑っても頼るのは己の技量と肉体だけなのだった。
速く走れれば自分の力、走れなければ自分の力不足...はっきりしている分、問題が有れば自分だけで努力して上手くなるしかない。
上手くなるには、頭を使わなければ時間を浪費するだけだ。
調べる、考える、方法を仮定して試してみる、更に調べる考える努力する、そして繰り返す、考えながら繰り返す事が重要だった。
暇なときはイメージしてみる。
頭で事細かにイメージできないことは現実にも出来ない。
逆に、事細かく動作のあれこれをイメージできるようになると海の上で実際に体が反応するようになる。
実社会で通用する、嘘、誤魔化し、脅し、泣き落とし、そういった交渉術は自然相手には通用しない。
人と人の間を渡り歩いている人には理解できない事だが、自然を相手にするスポーツをしていると理解できる真実がある。
どんなに口で上手いこと言っても、風が吹けば、波が立てば海に入れるのは限られた人間だけになる。
そして、海の上では無謀なだけの人間はふるい落とされるだけなのだ。
本当に出来るか出来ないか、やる気持ちが有るか、その気持ちが無いか、それだけではっきりと境界線が引かれる。
風に凄んでみても、怒ってみても、波にパンチを入れても何も変わらない...
風はただ吹いているだけで、波はそこにあるだけである。
人間相手には通用することが通用しない...
とってもすっきりした世界がそこにあった。
自分を磨く意味もあった。
今はとても遠いところに居るような気がする...。
そして、私がウィンドをやろうとやるまいと風は今日も吹き、海には波が立っているのだ。
ふと風を体に感じると、そんな事を想い出す。
純粋に上手くなりたい、それだけで毎週早起きして海に行っていたあの頃。